2013.1.19
山口観光大使的記事の最後は、萩市で締めくくろうと思います。
修学旅行が萩だった関東圏の方もいらっしゃるのではないでしょうか?
それほどに歴史、文化が色濃い街萩市をぶらっと散歩してみますよ!
江戸時代、萩は毛利氏36万石の城下町として栄え、幕末には吉田松陰を始め、木戸孝允、高杉晋作、伊藤博文など近代日本の夜明けを告げた多くの人々が育ち、「明治維新胎動の地」として知られています。
そんな歴史に縁深い土地だからこそ、観光スポットが萩市全土に山のように点在しています。
全部回るとなると、何泊かしないと回り切れない膨大な量なので、今回は一部分だけを回ってきたので紹介しますね。
萩城跡駐車場から歩いて行くと、さっそく城の名残のような雰囲気が…
途中、萩焼のギャラリーや、窯などが軒を連ねています。
萩焼のお店をぬけると、見えて来ました!萩城跡!
向かいのお店で鯉の餌が売ってあったので、お堀の中にいる鯉に餌やりしました。
物凄い集まってきたー!
萩城は、指月山の麓に、1604年毛利輝元が築城し、明治維新によって廃城になるまでの260年間、毛利氏歴代13代が居城としました。
明治7年に建物は解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめています。
ここをのぼると天守閣跡。
天守閣、二の丸、三の丸と、壮大なスケールを誇った萩城の天守閣は、桃山時代初期の様式だったそうです。
天守閣跡の石垣の上からの景色。内堀と石垣を見渡すことができます。
旧本丸跡は指月公園として整備されていて、いくつかの見所があります。
その中のひとつ、花江茶亭。
幕末の頃、13代藩主毛利親敬が茶事にことよせて家臣とともに国事の密議をこらしたことで有名です。
休憩所には猫がいました。
「野良猫に迷惑しています」のすぐ下でくつろぐ野良猫の図。
しかし本当に猫がたくさんいて、近隣の方は迷惑しているようでした。
至る所に「猫を捨てるな!餌をやるな!」の看板が…
むむむ…しかし可愛い…
ここは東園跡。
萩城二の丸にある藩主遊息の回遊式庭園だったところ。
ここにも猫が。猫と東園跡。
指月公園から一旦出て、海の方に向かうと、展望所があります。
ここにも猫がついてきました。にゃーん
目的は別の猫だったようです。
萩城跡の入口の人が、この展望所から「八重の桜の撮影をしたところが見れますよ。」と教えていただいたのですが、正直な話「やえのさくらってなんだろうか…(・・?」状態でした;
今年の大河ドラマなんですね〜。
後で調べたら、この旧小浜キャンプ場など、萩市内のいくつかの場所で撮影が行われていたそうです。
展望所からの景色は本当に綺麗でしばらく見惚れてしまいました。
海の水も綺麗でしたよ。
これは銃眼土塀。
海からの攻撃に対処する為に、四角形の銃眼が開けられていたそうです。
毛利家一門のひとつである厚狭毛利家の武家屋敷です。
長大な入母屋造り本瓦葺きの建物は、萩に現存する武家屋敷のなかでも最大の規模を誇る建物だそうです。
5つに区画された内部には土間がなく、特に東の座敷は狭いながらも畳廊下を配した格調高い造りであることから、身分の高い者に対して用意された詰所であったと思われています。
萩城周辺を後にし、道の駅萩しーまーとへご飯を食べに行きます!
しーまーと内には3つの食事処があります。
今回は「浜料理がんがん」でいただきました。
私は海鮮丼!1200円
一緒に行った人は、炙りサーモンといくらの親子丼1700円!
あと、料理名忘れたけどなんか豪華なやつ!値段も忘れた!
この新鮮さとボリュームで、この値段はオトクですよね!
松陰神社は吉田松陰を祭神とする神社です。
明治23年(1890)に松陰の実家杉家の邸宅内に土蔵造りの小祠を建て、その中に祭神生前愛用の赤間硯を御霊代として祀ったのを始まりとしているそうです。
吉田松陰が身分や階級にとらわれずに教育を行った松下村塾。
わずか2年半の間に久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文など幕末から維新の原動力となった逸材を育てた場所です。
松陰神社の境内に「吉田松陰歴史館」もあります。
短くも激しい吉田松陰の生涯を、20シーン70余体の蝋人形で再現されています。
ちなみに私は松陰神社で交通安全のお守りを買いましたよ!
自転車に付けよう。松陰先生どうかお守りください!
学問関係のほうが専門でしょうから、ムチャぶりしてすみません(笑)
これで山口(勝手に)観光大使の仕事もおしまいです。
かなり歴史に深く関係のある土地だと思いませんか!?
他にもまだまだ面白いところがあるので、広島から山口をスルーして福岡へ行かずに、立ち寄ってみてくださいね!