2013.9.11
最近、荒川上流に向かう時は笹目橋からIN・OUTするのですが、その時いつも近くを通る赤塚公園。
赤塚公園自体は高島平団地と首都高に沿って東西にのびるひろーい公園なのですが、中でも、西の端にある赤塚城址があるあたりのエリアは歴史と文化を多く知ることのできるスポットです。
このエリアには、赤塚城本丸跡や区立美術館、郷土資料館などがあり、地形的にも面白みのある場所なので半日…いや1日楽しめちゃうはず!
今回は板橋区郷土資料館をメインに記事にしたいと思います。
板橋区は、文化に関する活動に熱心な区で、この郷土資料館は、資料館としては都内で最も早く開館したものなんだそうです。
こちらが郷土資料館。
入館するとカウンターが設置してあるので、それを自分で押してカウントしてから展示を見て回るシステムでした。セルフ!
左手側に常設展示が広がっています。
まず、導入展示では板橋区がどのような街かがよくまとめられている映像が流れています。
その足元に広がるのは、板橋床面地図。
地図上の金属プレートは、主要な遺跡・文化財のあるところを示しています。
ちなみに、板橋という区名の由来は、なにかご存知ですか?
石神井川に架けられた木の橋を「板の橋」と読んでいたのが語源とされている、というのは割りと有名な話で、私もこれは知っていました。
しかし、他にも説があるようでして、板橋の「イタ」には崖や河岸、「ハシ」には台地や崖の端という意味があり、崖の端にあった土地を「イタバシ」と呼んでいたと考えられているんだそうです。
おお〜、こっちの方がすごく好きな理由だな〜。
たしかに板橋区は台地の端を多く有する土地だしね!
導入展示の右側には、テーマを「生きる」「暮らす」「戦う」の3つに分けて、旧石器時代から現代に至るまでの板橋区の移り変わりが分かる展示があります。
「無料で動物をモッフモフシリーズ」の徳丸ヶ原公園の中にあった石碑でよく覚えていたのですが、現在の高島平あたりのことを江戸時代は徳丸ヶ原と呼んでいて、そこで日本初の西洋砲術の演習が行われていました。
それにちなんで、砲術関係の展示が充実しています。
また、その西洋砲術の演習指揮者で、高島平の地名の由来となった高島秋帆関係の資料も展示されていましたよ。
さて、常設展示を後にして、2階へ。2階は特別展示のゾーンです。
現在行われているのは「板橋区伝統工芸展〜木の形 ガラスの形〜」という特別展。
木とガラスという全く質の違う素材を材料とする作品の展示が行われています。
板橋区無形文化財であり、「現代の名工」にも選ばれた佐藤昌月氏の江戸木彫刻をはじめ、根付、和楽器(三味線、琴)などの木製品と永井煌晟氏のガラス工芸品が展示されていました。
個人的に超心惹かれたのがコレ。いも虫コロコロ。
かわええええ!
この特別展は9月23日までですのでお早めに!
一旦1階へ降りて、次は裏手側の出入口から外へ出ます。
すると、そこには古民家が!
この古民家は、昭和46年徳丸5丁目の田中茂雄氏が寄贈したもので、約150年ほど前の江戸時代後期のものと推定されています。
中に入ることも出来ますよ〜。
蚊帳の中で寝るのは割りと憧れ。
石臼もご自由にお回しできます。くるくる〜
こちらの納屋は、中村辰三氏の寄贈によるものだそうです。
内部には、当時の農作業で浸かった道具などが展示されています。
資料館の受付付近では、板橋区に関する資料や本などの販売もされていました。
試し読みできるので、興味がある本を探してみてはいかがでしょうか〜。
実はあと数ヶ月で引っ越しをしなくてはいけないのですが、その候補地NO.1が板橋区。
特に高島平周辺なのです。
やはり、こうして改めて区の歴史などを学ぶと、土地としての力の強さを感じます。
もう一つの候補地が、国分寺なのですが、そちらも力強いです。
そういう土地が好きなんでしょうね。
両方共「史跡の街」と呼ばれるほど、史跡が多く、地形的にも台地の端だったり、河岸段丘があったりとおもしろく、味のある土地。
そして、何よりも高島平は荒川CRから近い。
国分寺は玉川上水が近く、ポタリング好きにはたまりません。
自分が住む街を愛したいので、下調べ真っ最中です。
愛せる街板橋or国分寺、どっちにしようかな〜