2015.6.25
久しぶりのプチロングライド。行き先は千葉・佐原。
古い町並み好きとしては一度は訪れたいと、前から思っていた場所でも有ります。
早朝出発し、千葉方面へ。
草加市などを抜け、交通量も少なく快適な道を選んで走行。
柏駅あたりで国道6号へ出たのですが、路肩の狭さと交通量の多さと車のスピードが嫌になり、ものの数十メートルで離脱。
距離を優先して候補から外していた、手賀沼を走るルートに切り替えることにしました。
手賀沼はサイクリングロードが整備されています。
これが本当に予想以上に快適で気持よくて走りがいのあるCRです。
路面の綺麗さと広さは荒川CRの下流辺りに匹敵するほどだし、緑の多さと、静けさ。
主観ですが、過去最高のCRかもしれない…
夏は蓮見船が運航しているらしく、この夏行きたかったのですが都合がつかず…来年は行きたいなぁ。
さて、手賀沼サイクリングロードは利根川サイクリングロードへと繋がっておりますので、約50kmサイクリングロードをノンストップで佐原まで行くことができます!
利根川CRは銚子までつながっているので、とにかく長くひたすら走りたい人にはおすすめルートです。
この日は微妙に向かい風だったため、結構辛かったです。利根川CRは土手上なので風を遮るものが一切ないんですよね。あと単調なので飽きる(笑)
ストイックに走りたい方向きなのかも…?
自宅から80kmで、佐原の駅に到着です。絶賛工事中ですが、町並みに合わせた駅舎ですね。
ここから観光スポット巡りに出発です。
駅から伸びる道は諏方神社の参道。鳥居をくぐり道なりに進むと諏訪神社へとたどり着きます。
領内の守護として信濃国諏訪大社を勧請。現在の社殿は嘉永6年に造営されました。
主祭神は建御名方神。旧社格では郷社です。
国指定重要無形文化財になっている佐原の大祭の秋祭りは、諏方神社の例祭。
佐原の中心地に入ると、古い町並みが広がり、旅情を煽られます。
佐原はかつて、利根川水運の中継基地として栄えた水郷の街です。
その賑わいは「お江戸見たけりゃ佐原へござれ 佐原本町江戸まさり」と歌われたほど。
埼玉の小江戸は川越ですが、千葉の小江戸は佐原ですね。
佐原といえば、もう一つ。
日本全国を歩測し、日本初の実測地図を完成させた伊能忠敬ゆかりの地でもあります。
18歳の時に伊能家に婿養子に入り、佐原へと移り住んだ伊能忠敬。
ここから直ぐに測量へ……という訳ではなく、約30年間ほどは伊能家の当主として、商才を発揮し、村の名主にまでなりました。
その後50歳の頃、隠居すると江戸に測量の勉強に。そして、55歳から測量をはじめ、70歳まで歩いて日本地図を完成させました。
55歳から日本全国を歩きまわるなんてすごいですよね。
20代30代で人生諦めた様な人がいたら、伊能忠敬を思い出して下さい。
人間、いくつになっても新しいこと始められます。人生フル活用しようぜー
そんな佐原と縁の深い伊能忠敬をよく知ることの出来る「伊能忠敬記念館」
川を挟んで反対側には、忠敬が30余年を過ごした「伊能忠敬旧宅」があります。
築200年をを越えるという、佐原で最も古い時代の建物だそうです。
今回の最大の目的であった香取神宮へ向かいます。
佐原の中心部から、約1km東へ。
びみょーに観光地化された感じの参道が見えてきます。
香取神宮は下総国の一宮であり、日本全国約400社ある香取神社の総本社です。
主祭神は、日本神話で国譲りの際に活躍する経津主命で、古くから国家鎮護の神として篤く崇敬されてきました。
さらに、延喜式神名帳で「神宮」という称号を持つのは伊勢・香取・鹿島の3社のみ。
関東屈指の古社として名高い神社なのです。
香取神宮は、常盤国一宮の鹿島神宮と深い関係にあり、一対の存在とされています。
鹿島神宮の主祭神はタケミカヅチですから、日本書紀において経津主命と共に国譲りの交渉を行った重要な神です。
かつて地震は地中に住むオオナマズが起すものと考えられていて、そのナマズを押さえつける守り神とされているのがこの要石。
香取・鹿島の要石は頭と尾を抑える杭と云われています。
楼門などは朱塗りで豪華な感じですが、本殿・拝殿は木の色合いを残したものとなっています。
個人的に朱塗りよりもこちらのほうが好きなので、嬉しいです。
香取・鹿島・息栖の三社を「東国三社」と呼ぶのですが、
この三社巡り用のお守りがあったんですよ。三角柱の形をした木で出来たお守りで、その一面ずつに各社のお守りシール的なものを貼るという形式のもの。
次の18切符期間に絶対行きます。東国三社。
参道の名物厄落とし団子。できたてもちもちで美味しかったです。
今回の佐原旅は往路から発見が盛りだくさんで、とても楽しかったです。
お店をゆっくり見て回ろうと思うと1日では足りないかも?!
東京から日帰りで行ける小江戸。おすすめです。