2012.12.29
前回、輪行して東京から山口への道すがらを書いたのですが、その京都途中下車旅編です。
京都は過去何度か訪れていますが、毎回京都駅よりも北側ばかり観光していたので、
南側って行ったことなかったんですよね。
なので、今回は南側で面白そうなところを攻めてみよう〜と思い、伏見へ行って来ました!
というのは、半分建前で……
「京都と言えば、京都伏見だろ!(弱虫ペダル的な意味で)」
というのが本音だったりします。
週刊少年チャンピオンで連載中の弱虫ペダル(アニメ化決定おめでとうございます!)に出てくる京都の代表校が「京都伏見」なんですよね。
別に、京都での練習風景とかは本編中には描かれていないので、聖地巡礼みたいなことは出来ませんが、なんとなく行ってみたいなと思ってチョイスしました。
御堂筋くん好きなんですよ〜。2番目に。
あぁ…話がそれてしまいましたが、そんなわけで伏見旅行です!
奈良時代から街道が整備され、水運も発達した要衝の地として栄えてきたそうです。
平安時代には、貴族の別荘の地として知られていて、桃山時代に入ると豊臣秀吉が伏見城を築き、絢爛豪華と言われる「桃山文化」を開花させ、江戸時代には、淀川水運の重要な港町(伏見港)・宿場町(伏見宿)としても栄えたのだそうです。
そしてあの「鳥羽伏見の戦い」の舞台でもあります。
ちょっと歩くだけでも、名所や史跡、観光スポットなどなどがたくさんあって、限られた時間の中で行く場所を絞るのにとても苦労しました。
3日くらい滞在してゆっくりのんびり旅とかの方が満喫できるのでしょうね。
伏見稲荷大社は、全国に3万社あるといわれる稲荷神社の総本宮です。
商売繁昌の神として信仰を集めていますがその起源は農耕神だそうです。
本殿の横には、絵馬の代わりに鳥居が沢山!
こんなに鮮やかで、見た目にきれいだからお土産に持って帰りたくなっちゃいますね。
意味無いですけど。
本殿の更に奥へ進んで階段を登って行くと…
この鳥居は、信者から奉納されたもので、「千本鳥居」という名前ですが、実際には約1万基の鳥居が並んでいるそうです。
もうホントにここは圧巻でした。
美しい朱塗りがずらーーーーっと並ぶ姿は見ものです。しかもその中を通れるというのがまた面白いですよね。
千本鳥居を抜けると奥社奉拝所で、こちらの絵馬は白狐の形をしていて皆さん顔を付け足していました。
これで願いが叶うのでしょうか?(笑)
奥社奉拝所の奥には、「おもかる石」というのがあります。
願いを念じながら石を持ち上げて、自分が予想していた重さより軽ければ願いが叶い、重ければ叶わないといわれているそうです。
私は自転車でしたが、電車の方の最寄り駅は「京阪電鉄京阪本線 伏見稲荷駅 」か「JR西日本奈良線 稲荷駅」です。どちらも稲荷神社っぽいデザインの駅になっていましたよ。
これは、明治12年に作られたランプ小屋で、現存する旧国鉄最古の建物だそうです。
鉄道省のランプの油倉庫として使われていたもので、現在は当時の手提げランプや時刻表など、マニアが喜ぶ展示があるみたいですよ。
中を見学するには事前に予約が必要なのと、JR線の切符か、入場券が必要です。
伏見はかつて、「伏水」と書かれていたそうです。
水運によって栄えた歴史と、たくさんの湧き水が点在する伏見ならではですね。
この川は、「宇治川派流」と呼ばれていて、伏見城築城の時に使う木材などの運搬の為に建設された内陸河川港だそうです。
水辺に垂れる柳や、酒蔵が並ぶ様はタイムスリップしたかのような雰囲気です。
このビニールシートを被っている船は、十石舟です。
江戸時代には旅人を乗せて大阪と伏見を結んでいたそうです。
現在では、4月〜12月上旬まで乗船できるそうです。
私が行ったときは12月末…
乗ってみたかったぁ!次行くときは必ず乗りたいです!
宇治川派流を辿って走ると、蓬莱橋(ほうらいばし)という橋が見えてきます。
1866年龍馬の恋人お龍が危機を知らせて、一命を取り留めた襲撃の場所です。
そして、先ほどの蓬莱橋からまっすぐに伸びる道が、「竜馬通り商店街」。
龍馬が寺田屋で襲撃された時、この辺りを駆け抜けて逃走したと伝えられていることからその名がついたんだそうです。
暗くなってきたのと、ぽつりぽつりと雨に降られだしましたので、京都駅へと戻ろうと思います。
せっかくなので川沿いを走りたいと思いまして、まずは東高瀬川沿いを走って北上して行きました。
滞在時間4時間というものすごい急ぎ足でしたが、京都の街を走れて楽しかったです。
まだまだ行きたいところがたくさんあったので、またゆっくり訪れたいとおもいます。
次回は伏見といえば忘れてはならない清酒について記事を書こうとおもっています!