2012.11.13
森下文化センター1階の一角にある「田河水泡・のらくろ館」へも行ってみました!
森下駅から清澄通りを南に下っていると、左手にたくさんののらくろで飾られた一つの通りが見えてきます。
こちらは通称「のらくろーど」。
通り全体のいたるところにのらくろが登場します。
しかしながら、商店街自体はとても普通の…というか、寂れた感の否めない雰囲気です。
それを助長しているというか、さらに悪化させてるんじゃないのかと思わせるものがチラホラと…
なんかこう、訴えておられますねぇ…;
どうやら「勝手にアーケードを取っ払い、さらに常夜燈も取ってしまった人がいる!」というのを訴えているようなのですが、その犯人(?)がこの商店街の方もしくはその関係者の様です。
なんでしょうね、この殺伐とした雰囲気。
街興ししたいのやら、したくないのやらよう分からん事態に陥ってません?
せっかくのらくろというキャラクターを使って街おこししてるのに、これがあることによって、商店街自体に近付き難い印象を植え付けてると思うんですよね〜。
いや、もしくはのらくろ自体が風刺漫画ですから、それを逆手に取った高等な風刺ギャグか何かなのかもしれません…
しかしながら、かわいいのらくろで目を惹いておいて、書いてあることがエゲツナイっす(笑)
のらくろは1931年から雑誌「少年倶楽部」で連載され、戦前の漫画としては珍しく長期の連載となった人気作品です。
ノラの黒犬・のらくろ(本名は「野良犬黒吉」だそうです)が猛犬聯隊という犬の軍隊へ入隊して活躍するという話で、二等兵から最終的には大尉にまで昇進していきます。
私は当然ながら、当時をまったく知りませんし、1987年から放送されたのらくろの孫が活躍する「のらくろクン」をギリギリ知っているかくらいの世代なのですが、それでも色んなのらくろグッズを持っていましたし、今でものらくろ目覚まし時計が実家に置いてあります。
それくらい時代を越えて愛される国民的キャラクターなんですね。
「のらくろ」の作者田河水泡は、幼少期から青年期までを江東区ですごしたそうです。
平成10年に、遺族から作品や書斎机などの遺品が江東区に寄贈されたことから、水泡ゆかりの土地であるこの地にのらくろ館が開設されました。
その中の一つ「蛸の八ちゃん」
蛸が人間社会を学ぶため地上生活を始めてあれこれ騒動を起こしながらも馴染んでいくというお話なのですが、これを見た時、
「もしかしてたこ焼き屋で『はっちゃん』って名前が多いのはこの作品の影響?!」と思ったんです。
まぁ、全然違ったんですけどね。
たこの足が8本だからっていう、ちょっと考えたら分かりそうな理由でした(笑)
作品紹介の他にも、田河水泡が愛用した書斎机や道具などを置いた仕事場の再現や、
のらくろ広場という漫画資料の展示・閲覧スペースでは実際に田河水泡の作品や、水泡ゆかりの漫画家の作品などを読むことができます。
こちらがのらくろの表紙なのですが、ものすごいオシャレじゃないですか!?
これ別に平成になってからリメイクされたとかではなくて、当時からこのデザインなんですよ。
田河水泡は、日本美術学校の図案科を卒業しています。
当時の講師は第一線で活躍する商業デザイナーだったそうで、ここでこのデザイン感覚も磨かれていったのでしょうね。
ホントに感嘆するほどの、美しいデザインだと思います。
のらくろは連載当時、ブームとして熱狂的な人気を呼び、雑誌だけにとどまらず様々な商品のグッズが登場していきました。
現代のキャラクター商品の先駆けで、筆箱やハーモニカ、ぬいぐるみ、ハンガー、文具などなどたくさんののらくろ商品が人気を博していたようです。
しかし、当時の法的規則は第二次的な商品にまで著作権は及ばず、ほとんどが水泡や出版社の無許可で販売されていたとか。
今だったら有り得ない自体ですし、もしそんなことが起これば世を騒がせるでしょうが、水泡自身は「ええじゃないですか、みなさんよろこんで使ってくれるんだから」の一言で終わらせたそうです。
なんともカッコいい、粋な言葉ですねぇ!しびれます!
ちらほらと読んだことがある程度なので、いつか必ず読破したいなと思いました。
読破どころか、全巻揃えたいです。
当時としては前衛的なデザインで、現在でも通用するデザインはホントにすばらしいので、手元に置いておきたくなる一品ですよ。
読んで価値有り、飾って価値ありののらくろ、皆さんも是非一度読んでみてください!