2012.11.12
今回は、俳聖として世界的にも知られ、日本史上最高の俳諧師の一人松尾芭蕉ゆかりの地を巡ってみましょう。
芭蕉は、延宝8年から深川に住んでいたそうなので、深川・森下周辺にはその名残りが幾つか存在します。
時に、松尾芭蕉と言えば、最初に思い浮かべるのがジャンプスクエアで連載中の「ギャグマンガ日和」に出てくる芭蕉さんなんですよねー。
情緒もへったくれもないことを言って誠に申し訳ございません。
まぁ、そのせいでついつい松尾芭蕉のことを「芭蕉さん」って親しげに読んでしまうんです。友達か!っていう。
それはさておき、松尾芭蕉は寛永21年(1644年)伊賀市の出身だそうです。
この出身地と、奥の細道の異常なスピードと、服部半蔵の従兄弟にあたる一族に使えていたということが合わさり、「芭蕉忍者説」が唱えられています。
今となっては本当かどうかわからないし、結論の出ない議論なのでしょうけど、面白い話だなぁと思いますね。
芭蕉さんが忍者だったらかっこいいじゃないですか!
芭蕉が弟子である河合曽良を伴い、元禄2年3月27日に江戸深川の採荼庵を出発し、旧暦8月21日頃大垣に到着するまでが書かれている紀行文集です。
実は、学生時代大垣に住んでたんですよ。
確か駅前にはおくのほそ道の行程地図みたいなのが飾ってあったりして、芭蕉ゆかりの地として観光スポットになっていました。
大垣といえば、青春18切符を使っての長距離移動で必ず乗り換える駅なので、旅行好きな方の中ではお馴染みかもしれません。
そういえば、ムーンライトながらは東京ー大垣間の運転ですし、大垣は今でも「結びの地」として存在感を示しているのですねぇ。
簡易地図を作ってみたのでこちらを参照しながら説明していきます。
寛永7年創建の曹洞宗の寺院。
芭蕉は、元禄7年に大阪で亡くなっています。
芭蕉の落歯と自筆の短冊を長慶寺の境内に埋めて、「芭蕉時雨塚」を亡き師をしのび、門人たちが築いたそうです。
塚は関東大震災で滅失し、現在は台座の一部だけが残っています。
臨済宗妙心寺派の寺院で、境内に雪中庵ゆかりの石碑群があります。
新大橋から萬年橋にかけて、隅田川テラスという遊歩道に9つの句碑が建てられています。
この隅田川テラスは、自転車乗り入れ禁止ですが、押して歩くのは大丈夫みたいです。
と言っても、堤防を超える方法が階段しかないので、持ち上げて登り降りしないと入れないですけどね。
こういうとき、クロスだと軽くて助かります。
自転車をまた抱えて隅田川テラスから出ると、雰囲気のある門が見えてきます。
ここを登って行くと、芭蕉庵史跡展望台に出ることができます。
芭蕉像や芭蕉庵のレリーフと周辺の花壇に句が展示されています。
この芭蕉像は、夕方になるとライトアップされて、芭蕉像がクルッと回転して清澄橋方面を向くそうです。
何も知らずにちょうどこの場面に出くわすと、ちょっとビックリしそうですね(笑)
深川芭蕉庵は芭蕉没後に武家屋敷となり、幕末から明治にかけて滅失しました。
その後大正6年に台風による高潮が引いた後、たまたま芭蕉が愛好したと伝わる「石像の蛙」がこの地で出土し、地元の人々の尽力で芭蕉稲荷が祀られるようになったそうです。
こちらは入館料(200円)がかかるので入ってはいないのですが、たぶん本来芭蕉巡りメインどころの芭蕉記念館です。
書簡・短冊・句碑・ほこらなど、芭蕉にかかわる展示物や俳諧資料が収蔵されています。
芭蕉庵史跡展望庭園入り口のすぐ横に「そら庵」というカフェがありました。
古い印刷工場を再利用して、自由な表現と交流の場をめざして作られたそうで、イベントスペースとしての運営と、普段はブックカフェとしての営業をしているみたいです。
芭蕉ゆかりの史跡が多数あるこの地で、この「そら庵」という名前は惹かれざるをえませんよね。
店構えもかっこいいのでついつい目にとまります。
帰ってから調べてみて驚いたのが、やっているイベントの出演者に知り合いが多い!
そういえばこの「そら庵」という字面、たまにイベントのフライヤーで目にする気がする…
今度は面白そうなイベントの日に是非行ってみようと思いました。
そら庵のサイトは→こちら