一面の黄色の絨毯 武蔵村山菜の花ガーデン

ポタリング, 花ごよみ


夏はひまわりによって一面黄色に染まる都営村山団地前の広場ですが、春には菜の花によって黄色の絨毯のような景色が広がります。



ひまわりのときもそうですが、地元の人々で作り上げたであろう愛情とゆるやかな素朴さが、なんともいい感じに一体の空気を作っています。利益を求めるでもなく、花を見に来る人達が笑顔になれば、と純粋な気持ちで毎年この地を整備しているのだろうなと想像すると、訪れる度にありがたいなぁという気持ちにさせてくれます。

ひまわりが咲き終わったあと、翌年のために緑肥として、また冬場の土埃飛散防止のために種をまくという菜の花。春と夏で黄色い花のリレーとは素敵です。


花畑に近づくと、菜花の香りがふわふわと漂ってきました。この香りを嗅ぐと、実家を思い出します。家の前が一面の菜の花畑になり、よく兄や祖母と菜の花畑の真ん中でお弁当を食べていました。その頃はまだ小さかったので、座ると菜の花がはるか天高くそびえているように見え、自分たちだけの秘密基地だ、と喜んでいたのを思い出しました。あの頃は一歩外に出たら菜の花畑で、珍しくもなんともなかったのに、今ではわざわざ菜の花を見に来るような都会ぐらしか…と少し侘しい気持ちになってみたり。



この日は、最終日で菜の花の摘み取りが可能になっていました。家族連れや年配のご婦人方が菜の花畑の中に入り、せっせと菜の花を摘み取っています。「菜の花はね、食べられるのよ。おひたしにしたり、天ぷらにしてもおいしいわよ」とご婦人が子どもたちに話しています。


そういえば、あんなにも菜の花があったというのに、祖母は菜の花を摘んで料理をしていなかったなあ。菜の花に限らず、つくしやわらび、たけのこなど山のように山菜が採れるリアル里山ぐらしだったわけだけど、あまりそういうことに興味がなかったのかもしれない。祖母は早くに夫をなくして、一人で私の父親を育てていたから、「少しでも贅沢させてあげたい」という気持ちが強いような気がします。それも大人になった今だからこそわかることだけど。だからたぶんそこら辺に生えてる山菜を料理するということに抵抗があったのでしょう。

大人になって都会に出てみてから、実はそんな食生活のほうが贅沢なのだということが分かってきます。家の直ぐそばの自然の物を採って食べるなんて、やりたくてもできないのが現代社会。自分にはまだ都会人が憧れる長閑な里山ぐらしをすることができる場所が残っている。それだけで、なんとなく気持ちに余裕が生まれてくる、そんな春の一日なのでした。