2013.1.14
年末年始に故郷山口へと、自転車を担いで帰ったので山口ポタリング紀行をお届けしようかと思います。
日本の歴史に深い関わりを持つ山口県、今回は山口市を中心に記事にしてみます。
周防国の豪族であった大内弘世は、京に上って幕府の政治に関与していて、その時京に憧れを抱いたそうです。
山口の地形は盆地になっていて、それが京にとても良く似ていたことから、都に模した街づくりを始めたんだとか。
そのため、山口は京文化の花が移り咲いた感があり、「西の京」という呼び名にふさわしい繁栄をしました。
約600年前に大内弘世が、京都から漆塗りの職人を山口に呼び寄せて漆器を盛んにつくらせるようになり、産地として形成されていったのが始まりとされている大内塗。
漆器といえば黒が馴染み深いですが、大内塗は赤でも茶でもない「大内朱」を用いることが特徴です。
小学生の頃、学校の行事として大内塗体験をしたのを覚えています。
漆が手につくと大変なことになる(実際はカブれる程度ですけど)という恐怖の元恐る恐る箸に色をつけました。
その大内塗で作られる「大内人形」はお土産としてとても人気があります。
フォルムといい、表情といい、とてもかわいらしいですよね。
大内人形は、大内氏が京から迎えた姫の寂しさを慰めるために、人形師を京都から呼び寄せ、屋敷中を人形で飾ったという伝承にちなんで生まれた人形なんだそうですよ。
山口駅前には、でっかい大内人形が飾られています。
柄をよく見てみると、山口市の名所が描かれているんですよ!
鉄道の近代化で1973年山口線からSLの姿が消えました。
しかし、沿線の自治体やSLファンによる活動で1979年にSLやまぐち号として復活し、現在でも人気者です。
新山口駅から津和野まで、全長62.9km約2時間の旅がたのしめます。
このSLは山口県立博物館の野外展示として置いてあるSLで、D60型1号機関車。
実際に触ったり、登ったり出来るのでSLを間近で体感できますよ。
屋外にある五重塔としては10番目に古く、日本三名塔の一つに数えられています!
身近な存在であればあるほどその大切さや貴重さを実感するのは難しいというか、離れてみて初めてわかる素晴らしさというか…
久々に見るとこんなにもすごい建物だったのか、と思い知らされました。
瑠璃光寺五重塔は香山公園内にあります。
この公園内には、五重塔の他にも、史跡や歴史的名所が数多く点在しています。
13代毛利敬親と夫人、世子の元徳と夫人、その子元昭と夫人、さらに毛利本家歴代諸霊の墓の計7基と初代秀就の母周慶寺殿、そのほかの墓があります。
墓所の入口には「うぐいす張りの石畳」があります。
手を叩いたり、足踏みをすると石段に音が反響して独特の音が帰ってきます。
こちらは「露山堂」
13代藩主・毛利敬親(たかちか)が山口城の一露山の麓に建てた茶室で、この場所で志士達と倒幕の密議をしたんだそうです。
この丸い窓が素敵な建物は「沈流亭」
大久保利通、西郷隆盛、坂本龍馬等が長州で倒幕の密談をするためによく利用した町家の離れです。
なかに入ることが出来て。一階ではゆかりの人物がパネルで紹介されていたりします。
二階にもあがれます。
ここで連合倒幕軍の結成が誓われたのですね…
大内氏は、この一の坂川を中心に山口の街づくりを行ったそうです。
京の鴨川になぞらえたこの川の川沿いの小径はまさに京の都みたいです。
そして、一の坂川といえば、春の桜と初夏のホタル。
中でも、ゲンジボタルの発生地として国の天然記念物に指定されています。
小さい頃は、ホタルのシーズンになるとそこら中にホタルが飛び回っていて、日本全国つつうらうらどこでもホタルは見れるんだ、と思っていたものです。
モンシロチョウを見つけたくらいのテンションですよ。
都会では見れないと知った時は驚きました。
ホタルが見れるという事だけでも素晴らしい土地だなと思います。
大内氏の別荘の庭として造られたそうですが、後に常栄寺と改称されました。
この日は雪が降っていたので、中々見れない風情があってとてもよかったです。
しかし…めちゃくちゃ寒い。
しかし一日で違う表情が見れたのはお得だったかな!
地元民としての視点ではなく、観光客の視点として見ると、改めて山口の歴史の深さと美しさを実感しました。
住んでいると中々気づくことの出来ない部分にも触れることが出来たと思います。
正直嫌いな部分もあるんです。でもそれは長く付き合うと見えてくる嫌な部分というか…ね。人付き合いと同じですよね。
しかしながら、故郷を誇りに思う気持ちも忘れずに持っていたいものですねぇ。